2018年1月5日金曜日

渡辺先生の御指導のおかげで、三段の審査の技が初めて興味深い課題となりました。私の二段の審査のビデオを見て、次のようなことに気がつきました。

- 気が肘から漏れている 
- 受けと一体化する気を使っていないので、受けにしがみついたようになる
- 腕だけで動かそうとしているので、腹を使っていない 
- 手で操作していると間違って思い込み、手ばかり気にしている 
- 頭が前に突き出て、なんとか、考えたことや記憶に残ったイメジに頼って、尾又先生に教わった通りの技にしようとしている 
- 突き出した頭が重くて邪魔をする 
- 歩きも、使った手だけに意識が集まって、体の反対側の腹が眠ってしまうために、タンクが動いているように見える 
- 技をかける間、周りのことに気が取られ、自分の存在を忘れている

二段の審査のビデオは主人が撮ってくれたのですが、恥ずかしくて、今まで見なかったのです。先生に御指導いただいて、初めて自分の不器用な姿に興味を持つようになりました。 自分のくせが、二段の審査の当時と今とあまり変わりがないことがよく分かりました。これから、基本的なところを直せるように頑張りたいと思います。技の細かいところは運と稽古の回数に任せ、基本姿勢や動きに集中したいと思います。


真殿エレン

2015年2月17日火曜日

健康管理と日本:日本に住む外人の目線から

私のアメリカのお友達は健康第一と考える一たちが多いです。その人たちは日本を考えると原発を思い出して、大変な所に住んでいると同情します。日頃私は合気道を通じて、若い方の職場や家族のストレスが最も気がつきます。1日誰とも話さない方いるし、あるいは、遅くまで自分の自由な時間はない人が合気道と通じて、人間の本来の姿を求めています。私の若い時の開放的なアメリカと違って、自分を忘れて他人に犠牲を払うとか自分を隠して生きるのは大都会によくあるストレスです。治安も最近わるくなっていると感じながら、欧米ほどでないので幸せとほっとします。 ホメオパシーと関係のあることは日本の医療制度の良さです。しかし、治安と医療は欧米の状況に近ずく恐れはあります。経済的な格差が広がて、ますます医療も金でしか買えない贅沢品のようになってくると心配はあります。アメリカの食品、環境、医療、薬の行政管理は悪くて、ホメオパシーのような代替医療が根ずよく生活の一部となっている人が増えているのは結果です。自分で自分を守らなければ、政府などは生活の基本を守ってくれないという実感は強いくなってきました。

2015年2月10日火曜日

優しい動物病院はありがたい

内のスミレちゃん(にやんちゃん)の手術は昨日でした。今晩、珍しくわたしと寝させました。普通、おねえちゃん猫と寝ます。病院で傷を巻くため、服を着せました。取りたがるとおもったが、細い体型だし、毛も短くて、普段寒いでしょう。帰った時に痛いそうに唸っていました。でも、今羽根布団の上に静かに寝ています。 珍しく新しく見つけた病院は抗生物質を飲まず、予防注射やりたくないなら、しなくてもいいだし、大変助かりました。抗生物質の代わりに内の薬をのませるので、回復は早いと思います。お姉ちゃん猫(ミュウちゃん)は別の病院で注射もされたし、抗生物質を飲まされたし、スミレほど幸福でなかった。でも、家で抗生物質を飲ませなかった。家の精神の薬と体の薬に変えました。二日で、食器棚の上まで、いつものように飛んでいきました。この優しい病院は手術後、目が覚めた時に家に帰らせてくれました。だから、病院で泊まる気持ちの負担もなかったです。回復を見るのが楽しみです。

2014年12月24日水曜日

ホメオパシーの基本道具

始めてレパートリを発明した人はBoenninghausenです。ハーネマンのもっとも愛された弟子はハーネマン自身が出来ななったことを成功した。そのレパートリは現在使える。この根となるレパートリを使えたら、とその歴史がわかったら、全てその後のレパートリは明確になる。2250ルブリックしかないので、訳すも簡単です。レメディを探す策略はKent以後のレパートリしか知らない人にとって、少し勉強しなければならない。でも、レメディやルブリック暗記とゆう受験勉強を避けられます。初心者に基本的の道具がホメオパシーの専門家にとって欠かさない。

2014年6月28日土曜日

初めてのホメオパシークラス


ホメオパシー入門
ホメオパシーがどのように実施され、何が実際に起るのかを体験してもらうクラスですが、治癒の成功の鍵は『聞く力』です。訓練されるゲーム、体験でスキルや理解は身につきます。自分自身や回りの親しい人々にホメオパシーを初めて利用したい方を対象とした入門クラスです。

レメディー服用指導

クラスで紹介する薬(レメディー)を組み合わせて、携帯用キットを一人一人に作ってもらい、そのキットを使って、クラスで習う安全な方法で自分にホメオパシーを試してもらいます

知見とは

200年の歴史をもつホメオパシーの基本原則を,難しい知識としてではなく具体的な臨床例を使って、分かりやすく説明します。比較的やさしいセルフケアの問題が中心になりますが、難しい慢性的な問題にもふれます。
問題が複雑で深刻になるにつれてホメオパシー専門医師の治療が必要となりますが、ホメオパシーの知識は専門医師の診断や治癒経過を正しく理解し、専門医師とのコミュニケーションを円滑にする助けになります。
現在、英語を通じてネットで世界の一流のホメオパスから高度なホメオパシーの知識を習うことができますが、このクラスを受講される方々にその知識の一端をご紹介出来ればと願っています。

講師

真殿エレン, Ph.D., ホメオパス
1973年からピツバーグ市で教員をしながら、三人の子供を養育。
1998年、教育博士課過程終了
2002年、クリニック教室開催
2006年、2度目の日本滞在開始、義父の養護
その他の活動:音叉療法、整体、呼吸法、合気道、自然と生活の調和

現在、海外のネット通信のホメオパシー講座を継続して受講。ネット上で、一流のホメオパスと他の受講生とのライブ討論を通じて、さらなる知識の向上を図っている。この12年間のクライアントの数は多くはなかったが、一人一人に丁寧に接することができ,知識を深める時間が取れ、治癒の成功率も高まった。現在のクライアントは、ホメオパシーの歴史が長い海外と日本在住の外人が多い。

2014年9月開始

毎月第一、第二木曜日 午後1:30−4:30 10回

月謝:8000円  教材費:1500円

京浜東北線北浦和駅または埼京線南与野駅から徒歩15分

連絡先:Ellen.madono@gmail.com    電話番号:048-824-1869 (自宅)
http://tokyohomeopathy.jp




ホメオパシー入門コースの内容

  • 基本原則と概観
  • 薬(レメディー)について
  • 症状のパターン分析
  • レメディー服用法の指導
  • 中心的症状の判定
  • 参考書の活用法
  • 急性症状と慢性症状の判別
  • 病名と症状の違い
  • 病歴から予測されるホメオパシー治癒の経過
  • 薬の選びかた


毎回繰り返す内容

  • 面接訓練
  • 症例の理解
  • レメディーの紹介
  • 携帯用のレメディーの準備
  • 教科書を利用したテーマの解説
  • 参考書を読む練習
  • 簡単な練習問題

2013年12月27日金曜日

(1)愛知絶食センターの紹介


ネットを検索すると,ダイエットやヨガつきの絶食センター宣伝しますか美しい建物の写真は楽しそうです。一日の値段それなりに高いです。私は一ヶ月じゃくの絶食をしたかったので,値段を見て、そのサイトを候補から除きました。体重を減らすよりも、デトックスに興味がありました。当時、デトックスの意味は詳しく分かりませんでしたが、四週間の絶食中、理解したと思いました。又、私は病気でないので、医療断食センターは要りません。残ったのはNPOである愛知絶食センターでした。 一日4500円でした。行ってみれば,山の森に囲まれた広い敷地に簡単なプレハーブハースが何件も南側の道添えに並んでいました。
一日中、森の中で彷徨することが私の夢でした。下記を読むと、初期がかなり違うだと分かるでしょう。又,断食は孤独で人とつき合わないと思いました。しかし、食事やお風呂に行く時に面白い人に会いました。毎日人は入帰りになるが,何となく、つき合うようになりました。
一日の間に一回だけの規制された一時間の集会あります。皆は元気である事を確認したり、健康についての講演を提供します。実際、道でスタフに会って,自分の健康状態を一日に何回も話すが、スタフと全然話さない方も居るでから、集会は必用だったでしょう。
AFCはキリスト教のNPOなので,毎朝賛美歌の声が聞こえます。私の部屋で朝の礼拝は別にあるので、参加しませんでした
スタフのサーベス清心はクリット教を通じて真心を表していると感じます。断食に霊的な面が有るとスタフが言いますスタフの熱心な働き振りはまさにクリスト教の一番優れている面を毎日実行して、その思いやりに感謝しています。
このブログを読んで,AFCに行くようになったら,是非私の名前を上げて下さい。真殿エレンです。また、他にいいファステングセンターが有れば,紹介して下さい。 私と簡単に連絡できるホームページはtokyohomeopathy.jpです。

私の準備
前から準備したと思ったが,いま、後悔する所もありました。行くニ週間前に肉をやめて、一週間前に魚をやめて,でも卵と牛乳を続きました。断食に行く四日前に粥と野菜で線を引きました。準備がよがったが,出かける日から,断食をはじめればいいと思いました。

一日目9月3日
食べなくても平気です。


ニ日目9月4日
朝、起きたら、 運営管理員は私を見に来て下さった。戸にトントンしたので、まだ床にいた私はフラフラ急いで立って,戸の方に歩きだしました。「真殿さん、ゆっくりと」繰り返して言った。梅干しを差し出してくれましたが、眩しいの光しか見えなかったので、手探りで梅を見つけました。
(食べていない時に炭水化物から脂肪をエネルギ源として身体が変化しないと行けません。でも、私よりも元気な人たちはこのような反応はありませんでした。)
私の部屋に寝ってばかりしていました。1回12時のお風呂のバスに乗って、身体を暖められるのが魅力でしたが、お湯をかけすぎで、逆に疲れました。どうりに、お風呂に入ることが禁じられています。
毎晩、ぐっすり寝ました。普段私は知らない所になかなか寝られないのに、絶食中その問題は有りませんでした。

一晩だけは寝った気がしませんでした。前の晩、昆布が入ったみそ汁を飲みました。その晩、まず,吐き気がして、そして,ゴミのような臭いがしました。鍼灸のように音叉治療をして,以上の症状が治ったが、胃の痛みが治らないで,一晩寝たような気がしました。寝ったかも知らないが,休まれなませんでした。四日に断食指導員はもしかしたら、具のないみそ汁なら、受け付けると試してみました。それは先日程の痛みがながったが、やはり,腹が重かったです。他人からも知覚や消化異常もききました。

妄想だらけの私


ある方は恐怖感を起す思出を紙に書き込んで、その紙を燃やすべきと勧めます。その意見を聞いたお友達に次ぎの返事を書きました。潜在意識の専門家でないのですが、私の信念について、書きました。
ーーーーーーー
「妄想だらけの私」は妄想を迎える態度について、書くことは最も可笑しいでしょう。でも、私の意識を自分に明確にするためだけでも、書かせて頂きます。

思出を意識するために文章にするのはいいと思います。しかし、その内容は案外と参考になるでしょう。思出の中のテーマは日常生活との関係を意識すると自然に気持ちは変って,自然に意識までかわります。思出をかいた紙を燃やさなくても,人生は違った意識に合わせるように成ります。


私の燃やした紙の話をさせて頂きたいです。合気道の先生は審査を重要とします。でも初段の前、私にとって、級を上がることは私の人生と関係ないと感じました。表彰を見て、不自然な圧力を感じて、級の審査の何ヶ月後、表彰を燃やしまた。でもこの間、初段の表彰を額縁に入れました。かかっている所は隠れているが,無意識に昇段に不自然な重みを与えました。道場への責任などを以前よりも重視するようになりました。基本的に私は健康のために合気道を習っています。先生にとって、道場経営に並んで、生徒の昇段はもっとも大事な目標です。初段の審査が終って、私は先生の見方になって、自分に無理でも、深い咳をしながら、演舞をやりました。それで、気管支炎になりました。これは先生の責任ではありません。私の状況判断の間違いです。

初段の表彰を燃やすべきでしょうか。それとも、額縁に掛かったままにして、もっと深く考えるべきでしょうか。迷っているが、その矛盾を感じながら,何か重要なことに気がつくようになるでしょう。話で説明出来るような変化でなくても、私の態度に変化を期待しています。

元のテーマに戻ります。私の思出は全部妄想としても,潜在意識からの妄想が何回も瞑想、夢などに表れていると「同じテーマが又出てきたな」と気がつきます。すると,日常生活にもそのテーマは表れていると気がつきます。どうも、妄想がしつこいので困るほど、私の意識に深い変化は可能だと期待しています。それとも私は弱いので、しつこいなのか、分かりません。その疑いを無視して,日常生活、日常生活の中にその妄想に気がつくことによって、そのテーマの影響力が自然に弱ってくると信じています。

潜在意識に隠れている妄想は実にしつこい存在です。一日中、深呼吸をして天と地のエネルギーを取り入れて、妄想吐き出しても、まだ、根が張っています。でも深呼吸をして、吐き出すほうがいいと思います。つまり,吐き出すことは潜在意識と繋がります。自然だし、いつでも深呼吸をしても,無理はありません。思出を書いて,燃やすと質が違います。

意識から来る変化はどのようなものでしょうか。曹洞禅宗の先輩からで聞いたことを思い出します。「曹洞禅宗の瞑想は霧の中にいるといつの間にか濡れてしまいます。」勝手な解釈ですが意識はその霧のような物となります。思出などを簡単に燃やすと(私の初段の賞状のように)霧に濡れることもありません。逆に,妄想のテーマの影響力を感じなければ、日常生活が何れ程潜在意識に左右されているままで、気が着きません。妄想について意識がないと濡れないし、困らないので、平凡な明るい日々を送られるので,早く燃やしたほうがいいと言う人もいます。

今貴方は瞑想の呼吸法が楽になられたと同じように、気がついた妄想のテーマによって意識が強く成って,その意識が人生を濡らすと不思議なことですが,いつの間にか不自然だった妄想の影響力が消えます。しかし、私の場合、消えた時にもうその問題を忘れがちなので,私はこの過程について確信をもつことも出来ません。そこで,自分の新意識に誓うこと等を紙に書いて、それを燃やすと勧める人もいます。その場合,燃やす意味は以上の消す意味と正反対です。おそらく私は瞑想と呼吸法を続けるだけで,自分が変化した証拠のなしで、生きるでしょう。

霧の中に生活している私は何も燃やさなくても意識の霧を信じて、困るでも,困ったことを意識している努力を続けています。すぐ明るい人にならないが、他人が私の人生を見るためには生きていません。ありのままで居ます。

その内あるいは、次ぎの人生に妄想の根の深さに明るい気持ちで居られるように成るでしょうか。ありのままも明るく認められるでしょうか。その可能性を感じるだけでも,意識の変化は可能でしょうか。

私が燃やしたい紙の話をさせて頂きたいです。合気道の先生は審査を重要とします。でも初段の前、昇級は私の人生と関係ないと感じました。審査の後、表彰を見て、不自然な圧力を感じて、級の審査の何ヶ月後、一枚づつ表彰を燃やします。でも去年、初段の表彰を額縁に入れました。かかっている所は隠れているが,無意識に昇段に不自然な重みを加えました。道場への責任などを以前よりも重視するようになりました。基本的に私は健康のために合気道を習っています。先生にとって、道場経営に並んで、生徒の昇段はもっとも大事です。初段の審査が終って、私は先生と同意して、自分に無理でも、深い咳をしながら、裸足で演舞に参加しました。その晩、熱をだして、結局、気管支炎となりました。これは先生の責任ではありません。私の状況判断の間違いです。

表彰を燃やすべきでしょうか。それとも、額縁に掛かったままにして、もっと深く考えるべきでしょうか。迷っているが、その矛盾を感じながら,何か重要なことに気がつくようになるでしょう。話で説明できるような変化でなくても、私の態度から無駄を省くことを期待しています。

元のテーマに戻ります。私の思出は全部妄想としても,潜在意識からの妄想が何回も瞑想、夢などに表れていると「同じテーマが又出てきたな」と気がつきます。その過程を繰り返すとそのうち、日常生活にもそのテーマは表れていると気がつきます。どうも、妄想がしつこいです。妄想に困らせているほど、深い変化は可能だと期待しています。それとも私は弱いので、しつこいなのか、疑問を持ち続けています。疑問を無視して,日常生活の中にその妄想に気がつくことによって、そのテーマの影響力が自然に弱ってくると信じています。一回切り,お寺で凄いお坊さんと瞑想した時にそんな経験があります。それは短い間に妄想が消えたから、明らかでした。普通は分からないうちに消えます。

でも、潜在意識に隠れている妄想は実にしつこい存在です。一日中天や地のエネルギーを取り入れながら、深呼吸をして、今こまっている妄想を吐き出しても、まだ、根が張っています。でも深呼吸をして、妄想を吐き出すほうがいいと思います。つまり,呼吸は潜在意識と繋がります。深呼吸は自然だし、いつでも深呼吸をしても,無理はありません。

意識から来る変化はどのようなものでしょうか。曹洞禅宗の先輩からで聞いた言葉を思い出します。「霧の中にいるといつの間にか濡れてしまいます。」勝手な解釈ですが,意識はその霧のような物に溶き込みます。思出などを簡単に燃やすと(私の初段の賞状のように)妄想である念は霧に濡れることもありません。しかし,妄想のテーマの影響力を自分で感じなければ、日常生活が何れ程潜在意識に左右されているのか、気が着きません。妄想の意識がないと濡れないし、困らないので、平凡な明るい日々を送られるので,早く燃やしたほうがいいと言う人もいます。

しかし、毎日瞑想と呼吸法を続けて,楽に成られたと同じように、気がついたことに妄想の意識を濡らすといつの間にか不自然だった妄想の影響力が消えます。しかし、私の場合、消えた時にもうその困った妄想を忘れがちなので,私はこの過程について確信をもつこともできません。そこで,自分の新意識に誓う言葉等を紙に書いて、それを燃やすと勧める人もいます。その場合,燃やす意味は以上の消す意味と正反対です。

霧の中に生活している私は何も燃やさなくてもを意識の霧パーワーを信じて、日常的に妄想に粘り強い根に負けたまま,困ったことを意識している努力を続けています。明るい人にならないが、他人が私の人生を見るためには生きていません。ありのままで居ます。

その内あるいは、次ぎの人生に妄想の根の深さに明るい気持ちで居られるように成るでしょうか。ありのままも明るく認められるでしょうか。その可能性を感じるだけでも,意識の変化は可能でしょうか。